9.吉原

江戸時代

遊郭

こんにちは、菅澤です。
今回で、8回目になります。

今回は非常口について少し話をしたいと思います。

唐突ですが、皆さん遊郭ってご存知ですか?

江戸時代、様々な人たちの悲惨な生活が、文献、ドラマ、映画等によって描かれていると言えばお判りになるかと思います。

さて、あえてその遊郭を角度を変えてのぞいてみましょう。

じつは見方を変えると、当時の“セレブ”の社交場であり、ファッション等さまざまな流行の発信地でもあったわけです。

最も有名な場所として、江戸の吉原が知られています。(現在の東京都台東区千束周辺)

ここは、四方を塀で囲われていたそうです。
出入りできるのは「大門」のみ、出入りを制限し隔離する事で治安上最も有利だと考えられたからです。

 

安政江戸地震

この吉原を襲ったのが”安政江戸地震”です。

(被災日1855年11月11日、M7クラス、最大震度6弱以上、死者1万人以上と推定されています。)

この地震は比較的被害範囲は狭いのですが、埋立地などの地盤が弱い江戸東部地域に甚大な被害をもたらしました。

土蔵の倒壊、地震発生後各所で出火し諸要因が重なり人々は手当たり次第逃げ場をさがして駆けずり廻った事でしょう。

吉原にも直撃したこの地震は、大門に人が波のように殺到、大門まで生き延びた人々も猛火の餌食になってしまったそうです。

吉原での死者は江戸全体の一割に及んだと記されています。

当時、吉原には普段の出入り口だった大門以外にも、緊急時に避難の為に塀を渡る橋も数か所あったそうです。

緊急用として設けてあった数か所の橋は、普段は跳ね上げてあったそうです。

しかしなぜか橋を下ろそうにも下りず死者数は増加してしまったそうです。

橋が下りなかった原因が、普段の手入れが悪かったのか地震のせいかは今となってはわかりませんが、しばしば大火には見舞われていた場所ですから、少なからず地震の影響があったと考えるのが自然だと考えます。

結果として、緊急時に使えない設備が致命傷となった惨事でした。

いざというとき非常用設備が使用出来ない、この失敗は現在の私達の生活の中でも繰り返されています。

過去の出来事から学び”デレル8”を現代人に知ってもらう事から始めたいと思った”安政江戸地震”の話でした。

 

今回はこの辺で、最後まで読んでいただき有難うございました。

次回をおたのしみに
 菅澤不二夫