1. HOME
  2. お知らせ
  3. [鍵・錠ものがたりー鍵・錠をめぐる歴史ばなし]第5話 どうする?刀鍛冶 職人の華麗なる「転身」―和錠の発展

NEWS

お知らせや展示会・セミナーなどの最新情報

コラム

[鍵・錠ものがたりー鍵・錠をめぐる歴史ばなし]第5話 どうする?刀鍛冶 職人の華麗なる「転身」―和錠の発展

鍵・錠ものがたりー鍵・錠をめぐる歴史ばなし

遠い昔より、人類と「鍵」は深い関係にあった。そのルーツは現代にも受け継がれている。
今回は戦国時代以降はじまった「和錠」の発展とそのきっかけとなった職人の「転身」のお話。

職人の華麗なる「転身」

奈良時代に大陸よりもたらされた鍵・錠前は、数百年にわたり、官営あるいは民間の金物職人が他の金物の製作に合わせ作成していた。江戸時代に入り、鍵・錠は「専門の職人」が製作をするようになる。
いわゆる「専門職」が生まれた背景には、戦が減り、鎧兜、刀剣、銃砲の需要が下がり、鍛冶職人をはじめとした金属加工を専門とする職人が、製作範囲を鍵・錠前といった「生活用品」へ転向したとされている。

鍵の技術的改革―からくり錠の登場

海老錠は内部構造には手を加えず、鍵の鍵バネで板バネがすぼまる仕組みとなっている。
海老錠は作動原理がシンプルである分使いやすさはあるものの、鍵違いも少なく、鍵穴が大きいため合鍵で開けられてしまうデメリットがあった。鍛冶職人は3通りの対策を取った。

ウォード方式の採用

中国・韓国から海を経て奈良時代より長く利用されていた海老錠は、徐々にオランダ・ポルトガルあたりから持ち込まれた鍵を、錠の正面から差し込んで回す構造のウォード式の錠前が主流になっていった。
ウォード方式は、鍵穴に細工したもの、錠内部の鍵の通り道・旋回圏内に障害物(突起物)を設けてあり、本鍵ならそれに対応する溝や切り欠きがあり鍵は回るが、別の鍵であれば障害物に引っかかり開かない方式である。
アジア型の錠は鍵穴に限定されたウォードが取り入れられた。
鍵バネは直立型が原則だが、鍵の断面を「く」の字型、逆「く」の字型、「稲妻」型、「クランク」型の変形にする。鍵穴もこれに対応した形状となり、他の種別の鍵では使用できない。しかし鍵違いのパターン数は限定される。ヨーロッパにおいては、錠内部のウォード方式にこだわり、長い年数をかけ採用されていたが、日本を含めたアジア型にはこれは採用されなかった。

板バネの増加

板バネの数は基本的には一対(2枚)だが、3枚、4枚と数を増やし、最高10枚にまで至った。
鍵穴が横にある海老錠に近似したタイプは「里」字型と言われる様式、前方にあるものでは4枚羽となっている。

からくり錠

錠の内部構造を複雑化させたものを指す。
事前に鍵の情報を知りえない第三者が万が一鍵を入手したとしても解錠が困難なものが多い。
例として

①固有の鍵がなく錠の一部を押し引きすると解錠する
(鍵バネは1枚。魚、昆虫など生き物をモチーフとしてあしらったものが多い)
②鍵が1本、鍵穴が複数あり、鍵穴の順番を間違えると解錠が出来ないもの
③鍵が複数、鍵穴は一か所のみ、鍵の順番を間違えると解錠が出来ない
④鍵が1本、鍵穴が二か所あり、その内の1つはダミーの鍵穴
⑤鍵が複数、鍵穴も同数 位置と順番を間違えると解錠が出来ない
⑥錠、鍵穴、鍵が一揃いとなっているが特殊な操作が必要となるもの
A)鍵を一定の方向に180~360度回転させ、次に逆方向に回転
B)鍵を一定の深さまで差し込んだら180度回転、さかさまに押し込む
C)いわゆる「知恵の輪」のような特殊な工程でないと解錠しないもの
⑦ 鍵が2本、鍵穴が2本、一組は施錠専用の鍵と鍵穴、もう一組は解錠専用(おもに倉の錠に多い)
⑧鍵が3本、鍵穴が一か所
⑨鍵を鍵穴に入れると、第二の鍵穴が見つかり、第二の鍵穴に入れると第三の鍵穴が見つかる
⑩ 横鍵型錠で鍵を押し込み、次に引き抜くと解錠
⑪ ねじ締まりと一般的な板バネ式の原理を共存させたもの
⑫ 鍵はあるが錠に鍵穴がない。まず鍵穴を探すことから始まる(箱根の寄せ木細工に近似した仕組み)

江戸時代中ごろに入ると、職人によって作られた鍵・錠は徐々に武士・商人の間に浸透していった。例えば鎧櫃(よろいびつ)の錠や商家の土蔵の錠にこうした職人の手で製作されたものが普及している。しかし庶民が住む長屋においては、露地を袋小路にする小規模単位のコミュニティにおけるセキュリティを構築するにとどまっていた。

和錠の発展

錠前を製造する地域の名前を取り、「阿波錠」「土佐錠」などと呼ばれるものが誕生した。
仕組みだけではなく、鎧兜の製作技術を活かした華やかな外装や重厚感、きめ細やかな鉄肌が特徴的である。
和錠そのものは全国で製造されたが、その中でも特に著名とされたのは阿波錠(徳島県)、土佐錠(高知県)、因幡錠(鳥取県)、安芸錠(広島県)の4つの錠だった。

阿波錠(徳島県) 鉄砲鍛冶が育てた華やかかつテクニカルな和錠

  • 大型で肉厚、重量感
  • 表面に花柄があしらわれ豪華
  • 流派が複数あるため外観は一律ではない
  • 鍵が直立型だけではなく曲折型が多い
  • からくり仕掛けの錠が多い

天正13(1585)年、四国全土を平定した豊臣秀吉により、蜂須賀小六へ阿波(現在の徳島県)が与えられた。蜂須賀家は徳島入城後、家臣に未開墾の土地を与えて開墾事業に着手させた。
この時に使用する農機具の修理・補修のための専門の鍛冶職人の集団が多く移住した。これが「鍛冶屋原」という地名で残されており、阿波錠生産の原点の地ともなっている。
阿波では平安時代より衣類の染料の1つである「藍」の生産が盛んとなっており、江戸時代からは保護奨励策がなされるほどの主幹事業でもあった。藍の生産、加工、販売の規模が大きくなることに伴い関連する施設(屋敷・蔵)にはそれに伴った防犯性の高い錠が求められた。これらに活用される錠の製造を行っていたのが、鍛冶屋原に住まう鍛冶職人たちである。
また阿波には滋賀・長浜の国友、大阪の堺と比肩する「阿波鉄砲」を製造する鉄砲鍛冶の集団もいたが、戦が減り、鉄砲の需要が減る事にともない彼らもまた錠の製造に転換していった。
阿波錠は藩内流通のみだったが、その背景には商人側としては藍よりも購買スピードがゆるやかかつ、重量も中々である錠を国外で展開する選択肢はなかったとも言われている。

土佐錠(高知県) 刀工厳選の素材から生み出された「美肌」の和錠

  • きめ細やかな鉄肌(「お染錠」と言われるほどの美肌)
  • 鍵・鍵穴は直立型のみ、大型のため鍵バネは3~4枚目が主流
  • 在銘が多い
  • からくり仕掛けが存在しない

土佐(現在の高知県)は刀鍛冶の製造技術が高く、材料の選定、特に玉鋼の選定には長けており上質の錠の製造を可能にさせたと言われている。
錠前のみならず、刃物の名産地でもあった。阿波徳島藩の藍の栽培事業のような事業システムがなかったため、土佐錠の生産量は阿波錠と比較して少ない。
また在銘はしているが「本家」「基本」などの刻印が多く、これは土佐錠の製造は親戚・少数の師弟といった限られた組織に占められており、その格付けを示すものとされている。

因幡錠(鳥取県) 良質な砂鉄と加工技術がもたらした山陰の和錠

  • 表面が他の鍵・錠の製造では定番である鍛造ではなく、「ろう付け」と言われる母材(玉鋼)を傷つけることなく接合できる金属加工技術での製造であるため、大型だが薄く軽い
  • 鍵穴のある正面が膨らんでいるが裏面は平面
  • 鍵・鍵穴は直立型のみ
  • からくり仕掛けがない

古来より良質の砂鉄の産地であった因幡は各地に玉鋼を供給していた。

安芸錠(広島県) 「大きなふところ」がカギ?堅牢性に特化した和錠

  • 正面のみの膨らみがある因幡錠と比較し、安芸錠の場合は表裏の両側が膨らんでいる
  • 表裏が膨らんでいることにより、状の内部の鍵穴まわりにある「ふところ」が広い、結果鍵バネの両側部分が広く取れるため丈夫に作ることが出来る
  • 胴部の膨らみに段差がある因幡錠に対して、なだらかな段差が特徴
  • 大型のものが多く、鍛造のため堅牢かつ重厚感がある
  • 鍵・鍵穴は直立型のみ
  • からくり仕掛けがない

外見が因幡錠と酷似しているが微妙に差異がある。「どんびき錠」の別名がある。

 

この他、少し変わった例だが、堺には鉄砲鍛冶の技術が活かされ、不正な解錠操作をすると大音響の空砲を発する仕組みを持つ錠が備わった銭箱(金庫)が開発されている。
各地域の統治、産業、自然環境を余すことなく活かし発展した「和錠文化」は、明治まで実際に使用されていた。誕生から約400年が経過した今も、根強いコレクターがいる「伝統工芸」として愛され続けている。

 

最新記事