1. HOME
  2. お知らせ
  3. [鍵・錠ものがたりー鍵・錠をめぐる歴史ばなし]第8話(最終回):おウチの鍵、どうしてます?―戦後日本の鍵・錠ものがたり

NEWS

お知らせや展示会・セミナーなどの最新情報

コラム

[鍵・錠ものがたりー鍵・錠をめぐる歴史ばなし]第8話(最終回):おウチの鍵、どうしてます?―戦後日本の鍵・錠ものがたり

鍵・錠ものがたりー鍵・錠をめぐる歴史ばなし

遠い昔より、人類と「鍵」は深い関係にあった。そのルーツは現代にも受け継がれている。
最終回となる今回は、どこか懐かしい?戦後日本のカギ事情をご紹介。

戦後復興と錠前の生産再開

第二次世界大戦で中断されていた錠前開発・生産は、終戦とともに駐留してきたアメリカ軍への物資供給のひとつである錠前の大量発注で活気づいた。
しかし戦中の金属供出により、必要となる素材(金属)、設備はなかった。戦前に走りだしたシリンダー錠の生産技術は需要に応える成長段階にはまだ早く、従来のレバータンブラー錠を納入することが精一杯という時代だった。
復興とともに高まる金物需要の中で特に市場に出回ったものが南京錠である。
錠前メーカーのみならずあらゆる金物メーカーが生産販売を行った。
さらに国内の復興が進むにつれ、建築物の大型化と件数の増加は鍵・錠の需要をより高めることになった。大量供給には当然「それぞれの種類、選択肢の多さ」が必要になってくる。この時、堀商店の他、かつて「白玉錠」を生産していた大阪白玉錠製作所を前身とし、後のゴールとなる谷山製作所、ピンタンブラー方式の錠前を生み出した日本金具製作所(後のニッカナ、NHN)、昭和金属(後の昭和ロック、ユーシンショウワ)などの多くの錠前メーカーがシリンダー錠の生産に向け一斉に走り始めた。
それでも供給体制に技術開発が追い付くことは困難を極めた。
この困難の背景には、シリンダーケースの製造過程にあった。
これまで供給していたレバータンブラー錠の延長として製作されていた。シリンダーケースロックの多くの部品が黄銅をはじめとした銅合金の鋳造と切削加工で製作されている。このため工程に費やす時間が長く、生産量をカバーすることが難しかったとされている。

シリンダルロックの登場

昭和30年代に入り、東京をはじめとした各都市で都市開発が急ピッチで進んだ。
都市開発が進むごとに地方から人が大都市に流入。そのまま住宅の急激な需要へつながり、これがより錠前業界をさらに活気づけた。これまで大量生産と研究開発のアンバランスに悩まされてきた各メーカーはアメリカのシリンドルロックに着目した。


施工業者や職人によってはこのシリンダルロックを円筒錠、モノロックという場合もあるだろう。
シリンダルロックとは取り付けが簡単にできる錠前だが、先に触れているシリンダーケースロックのような堅牢なデッドボルトを持たない。戸に取り付ける際は鍵の入る穴として丸穴を開けるだけ、という大変施工性が高い製品とされていた。
なによりメーカーが着目したのはこれだけではない。
金属板を主体に構成された構造という、これまでのシリンダーケースロックと比べ生産コストを抑えられる点にもあった。昭和20年代には市川商会よりシュラーゲ社など、各メーカーのシリンダルロックが輸入されていた。
このシリンダルロックの国内生産を目指した日本企業がある。
瓶ビールや瓶コーラの上にかつてあった「王冠」を作っていたエポー社だ。
エポー社は王冠製作で積み上げたプレス技術と設備を活かし、錠前業界に参入を試みたのだ。これを追いかけるように、谷山製作所ではアメリカのメーカーを参考に独自構造のシリンダルロックを開発した。同様に昭和金属もアメリカはサージェント社と提携、昭和サージェントの名前でシリンダルロックのライセンス生産を開始、さらに自社独自のシリンダルロックを開発。「セブンロック」というオリジナルブランドにて販売をスタートした。

しかしシリンダーケースロックが全く消えてしまったわけではない。
美和産業(後の美和ロック)のメンバーの一人である和氣一郎は、これからの時代の鍵・錠前には
「使いやすさ」
「防犯性能に優れている」
「量産できるもの」
の3点が重要視されるだろうと考えた。

昭和25(1950)年、美和産業は日本銀行からの特殊かつ安全な錠前作成の依頼を受け、より防犯性能に優れた錠前開発をスタートさせている。
その後5年の歳月を経て、「本締り付きモノロック」が誕生した。
これは、外観上シリンダルロック(円筒錠)と同様にノブの中にシリンダーがあり、鍵穴がノブの中心にある。ここにデッドボルトを内蔵したケースを持たせており、シンダーケースロック、シリンダルロックの長所を生かした仕組みとなっている。
またシリンダー自体も増加する建物の居住者の需要に合わせ、これまでの錠前の弱点であった鍵違い(パターン)数の減少を抑えるために、当時海外では主流になりつつあったディスクタンブラー方式に着目し、さらに和氣と美和産業でオリジナルの構造に発展させ、「美和ロックHM型」として生産を開始した。
この「本締まり付きモノロック」は戦後増加した住宅、特に団地といわれる集合住宅にも広く求められ、昭和32(1957)年には美和産業は日本住宅公団特別供給仕様書の指定メーカーとしても採用されている。
この後、建坪の関係上どうしても外開きとなる専有部のドアには暴力、破壊に強い錠前が求められるようになり、「サムターン付きシリンダー面付箱錠」が採用される。この「サムターン付きシリンダー面付箱錠」は団地のみならず、その後マンションにも採用され、今も形状や仕組みを進化させながら多くの「住まい」で使用されている。

シリンダルロックの限界

戦後の供給不足を助けたシリンダルロックは、各地の宅地開発、そして戸建て住宅が増える中でもその施工性の高さとシリンダーケースロック、本締まり付きモノロックより安価という点で人気があった。
しかし、シリンダルロックの仕組みは他の錠前よりシンプルなもので、デッドボルトがなく、内側のノブの中心にあるボタンを押して扉を閉じると、外側のノブとラッチボルトが固定されるというものだ。戸の隙間からラッチボルトを破壊されやすく、こじ開けに弱い、という問題が発生してしまう。中には材質を厳選し、強度を高めた設計のシリンダルロックも存在した。加えて急激な需要により誂えられたのは鍵だけではなくドアも同様で、このドアの材質や耐性にも課題があった。

様々な課題と多く発生した事件、トラブルを経た末、シリンダルロックの黄金時代は終わりを迎え、今でこそ当たり前となっている「ワンドア・ツーロック」が誕生した。
シリンダルロックと変わるように着目されたのが「本締まり付きモノロック」である。
かつてシリンダルロックの流行に伴い下火になっていたケースロックは先に述べたシリンダルロックの問題点により、昭和40(1965)年後半から50年代には再び光が当たった。
シリンダルロックと比較し、ケースロックはケースと言われる錠箱を持ち、その中には本締まりのデッドボルトと空締まりのラッチボルトが別々に備えられている。このケースがあることでデッドボルトをはじめとした構成部品を比較的大きく、堅牢な作りに設計することが可能になる。またシリンダーも独立してケースに直接取り付けが可能となり、対破壊強度や耐久性を得やすい防犯に強い錠前となっている。また時代が下り鋼やアルミの戸も普及し、錠の取り付けに切り欠き穴を掘りこむ手間はほぼかからないようになった。

時代はオイルショックに向かいつつある中、求められたのは「安い」「早い」「簡単」ではなく、「防犯性が高い」「耐久性が高い」「個性的・多様性」への見直しがなされるようになる。

電気錠誕生

昭和49(1974)年には高層ビルの建築ラッシュを目前に電気錠が誕生する。
これまで紹介してきた多くの鍵・錠前は戸の前にいる人間が直接操作をすることのみが前提のものだった。電気錠はこの「1対1」の壁を越え、遠方あるいは複数の戸・錠の操作を制御盤などの機器との連動に合わせを可能にさせた。
電気錠の登場は、防犯性、耐久性、多様性、と多く与えられた鍵・錠への期待をより広くさせた。ここから一気にカード、テンキー、そしてフィジカル・セキュリティ(生体認証)と言われる、指紋、静脈、顔、虹彩といった人体のデータを活用した鍵や、QRコードなどの二次元データを活用したものなど、鍵と錠の種類は広がりを見せている。

「開かれた」鍵業界

古くは限られたコミュニティで作られ、利用されてきた「鍵」と「錠」。
その後、名物や宗教、家族感など、各地域の特色をふんだんに受け、より豊かに育っていった。
これからも長く深く誰かの生活を守るための鍵を世に送りだすため、鍵は少しずつ世界を開き続けている。

ロックシステムお取り扱い各種機器のご紹介はコチラ!

最新記事